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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)下」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【稀少!江戸期 流麗・雄渾 29名絵入】先賢像讃 検儒教育儒学問孔子孟子天皇合戦争仏教浮世絵本武将軍記武者日本歴史中国仏像木版画古書籍。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【旧家蔵出し】★古書『瓶華図 まとめて18枚』明治期 池坊専明 池坊専正★(検:うぶだし/古文書/生け花/華道/木版画/当時物)-2。現在の今上天皇と系譜がつながっている。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。0026106 冠辞考 全10冊揃 賀茂真淵 秋田屋勘右衛門 寛政7年 伊丹屋善兵衛。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近世著聞集 全十巻 近世日本の言論弾圧の犠牲者馬場文耕。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。@1927年 紅縁記 検索: 支那 傳奇 桃花扇 艶情 艶談 紅閨記 游仙窟 桃花源 閨門 秘術 閨房 香閨 剣仙傳 善本 古籍 木刻 木版刷 禁書 線装本。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。【旧家蔵出し】★希少 古書『家元四十一世専明瓶華之集』明治期 池坊専明★(検:うぶだし/生け花/華道/和綴じ本/木版画/当時物)-5。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。0024326 蝦夷日誌 3冊揃 松浦武四郎 日本古典全集 正宗敦夫編 昭和3-4年 非売品 文庫サイズ 正宗白鳥。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。大阪より満鮮北支へ/昭和11年/満州国・北支那/鬼が出るか蛇が出るか一行五56名/大阪財界を代表するあらゆる方面の人士を網羅した団体である。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。詩韻活法 乾 坤 瀧川 昇 明治十三年。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。東照権現十五箇條 キリシタン弾圧史料 慶長18年5月奉行文書。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。賴朝一代記 豊亭牛眠作 芳信画 草双紙。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。0026471 通俗呉越軍談(通俗列国志呉越軍談) 全18冊揃 大坂・敦賀屋清助 元禄16年。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。絵図 (城郭図) 兵庫県 但馬國 出石城(レターパックライト発送)。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。@1933年 二晏詞 検索: 唐本 漢籍 宋詞 支那 新文学 漢詩 漢文 漢学 唐詩 宋詞 元曲 善本 線装本 中華民国 古籍 木版刷 木刻本 竹紙 排印。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。B516曼荼羅、日就,手書き、300年以上。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。若菜・下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。@中華民国 米南宮十七帖 検:碑帖 拓本 墨拓 原拓 碑刻 法帖 魏碑 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 旧拓片 印譜 唐本 漢籍 王羲之 趙子昴 書聖。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。四年の歳月が経過。◎古文書・武蔵野国久良岐郡(横浜市南区上大岡)の千手院の明治~昭和初期の資料(年貢・帳簿・地券。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。通信区画便覧 第五巻 第5巻 広島区内(鳥取.島根.岡山.広島.山口.香川.愛媛県)。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。柏木は、女三の宮の姉・女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。中国1937年古書/回教認一論/馬瑞図/中華書局 検索:支那古本/国幣/線装本/哲学/唐本漢籍/木版刷/漢文/漢詩/漢学/中文書/古籍/善本/碑刻法帖。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。中華民国期 林徽因 信箋 1枚 検索: 詩人 写真 花箋 才女 唐本 漢籍 古文書 建築家 上海九華堂 木板刷 徐志摩 梁啓超 梁思成 北平 書家 水印。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。
自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。吾妻百人一首(P144)。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
「若菜・下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。遠西武器圖略 市川齋宮恭譯解。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。支那写真大観・写真二百三十余収録・附最新全支鉄道図/昭和14年/北京天安門・北京宮殿・四川省重慶及漢口全景・四川省重慶及漢口全景。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。0024512 復古夢物語 初編 乾坤 松村春輔著 一曜斎國輝画 文永堂 大嶋屋傳右衛門 明治16年。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。f19111015〇西洋事情 全10冊揃い(初編3冊 外編3冊 二編4冊) 明治6年再刻 福澤諭吉 慶応義塾〇和本 古書 古文書。
自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。【 廣重画 保永堂版 大錦東海道五十三次 】 アサヒ企画発行 【M-238】。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。昭和11年 16版発行 ペン字對照 手紙大辞典 大西貞治 河野成光館。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜・下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。》
《「ねひまさり給ひに》・・・・けり」と、御覽すはかり、
用意くはへて、見えたてまつり給へと、事にふれて、教へきこえ給ふ。聖徳太子十七ヶ條憲法并未来記/徳失鏡 寛永九年十月十六日寫。
「けに、かゝる御後見なくては、まして、いはけなくおはします御有樣、
かくれなからまし」と、人ゝも、見たてまつる。
正月廿日許になれは、空もをかしきほとに、風、ぬるく吹(き)て、お前の梅
も、さかりになり行く。欽定前漢書 全12冊揃いセット(1-100巻) 光緒甲辰(=光緒30年/1904年) 武林竹簡斎三次石印 /唐本。大方の花の木ともゝ、みな氣色はみ、霞みわたりにけり。
「月たゝは、御いそき近く、物さ音も、志かく(試樂)めきて、人いひなさむを。1938年/戦時/宣言/古文書 検索:支那/七七/事変/蒋介石/国民党/汪精衛/維新政府/満蒙/満州帝国/日中戦争/関東軍部/中支/武動/銃後/総督府。
此(この)ころ(頃)、志(し)つかなるほと(程)に、
こゝろ(心)み(見)給(たま)へ」
とて、志ん(寢)殿に・・・・・《わたしたてまつり給(たま)ふ。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。天安門の六月/夏之炎 検索:天安門事件/民主主義/学潮/六四学運/胡耀邦/鄧小平/李鵬/楊尚昆/軍隊戒厳令民運/真実/報道/生写真/趙紫陽/鎮圧。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《六条院の華麗な女性たち(紫の上、明石の君、明石女御、女三の宮)》
《朱雀院(前・朱雀天皇)の五十歳の御賀を兼ねて宮廷の豪華な祝宴の準備が進む》
《正月、女三の宮、紫の上、明石女御による女楽を開催し夕霧をその席に招く》
《宮(女三の宮)は、二十一、二歳くらいにおなりであるけれど、相変らず
成熟したところがなく幼げな感じで、ほっそりと弱々しく、ただかわいらしい一方とおみえになる。四庫全書総目 上/下。
(源氏の君)「あなたは父君の院(前朱雀天皇)にお目にかかられぬまま
何年もたっているのですから、立派な大人に》・・・・・なられた、とごらんいただけるよう、
お心づかいしてお目通りなさいますよう」
と、殿(源氏の君)は、宮(女三の宮)に何かにつけてお教え申しあげなさる。
(女三の宮お付の女房)「なるほど、このような行き届いたお世話役がいなかったとしたら、
なおさらのこと、幼くていらっしゃるご様子が隠れようもなかろうに」
と女房たちも拝している。即決★【コロタイプ印刷】大乗院尊圓法親王筆『往生至要抄』上下2冊揃・帙入(復刻年代不明)ー入木道・青蓮院。
《十六・正月、女三の宮、紫の上、明石女御による女楽を開催し夕霧をその席に招く》
正月の二十日ぐらいになると、空も晴れやかに、風もなま暖かく吹いて、
御前の梅も今を盛りと咲いている。
そのほかの花の木々も、みなほんのりと蕾(つぼみ)がふくらんで、
あたり一面に霞(かすみ)が立ちこめているのだった。御家中列帳 信州上田藩士分限帳 寛政七年九月改。殿(源氏の君)は、
(源氏の君)「月が変れば、御賀の準備が近づいて、何かと落ち着かなくなるでしょうし、
そんなときに合奏なさるのではお琴の音も、御賀の試楽でもしているように世間から
取り沙汰されましょうから、このところの静かな折に弾いてみてくだされ」
とおっしゃって、殿(源氏の君)は、対の上(紫の上)などを、宮(女三の宮)のおられる寝殿に・・・・《お連れ申される。》
備考:冷泉天皇は桐壺天皇と藤壺中宮の皇子としているが実際は源氏の君と藤壺の皇子。柔術指南 非常に珍しい江戸時代の柔術書の刊本 江戸時代唯一の柔術書の刊本か。東宮(皇太子)は、今上天皇として即位し、今上天皇と明石女御の御子は、源氏の君の孫、のちに次期天皇として即位する未来が開け源氏の君の栄華が際立つ。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。支那/国有鉄道/貨物数及収入/1916-1923年 検索:硬票/中華民国/京漢/鉄路/京奉/北平/前門/軍隊/国民党/北伐軍/南軍/本物/満州事変/南満鉄。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。
《New Herbs Part Two(若菜・下)》
"You must show him what a fine young lady you have become."
Her women silently thanked him.
That she had grown up at all was because of the trouble he had taken with her.
Late in the First Month the sky was clear and the breeze was warm,
and the plums near the veranda were in full bloom.
In delicate mists, the other flowering trees were coming into bud.
"From the first of the month we will be caught up in our final rehearsals,"
said Genji, inviting Murasaki to the Third Princess's rooms.
"The confusion will be enormous, and we would not want it to seem
that you are getting ready to go with us on the royal visit.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《若菜・下》
“!若非大人如此悉心管教,那孩子脾气就更加不能藏了。支那事変写真実記/昭和13年/縦にみて歴史的大戦史であり横にみて銃前銃後の奮闘談であり美談集であり更に貴重なる事変写真帳ともなり得た。”
正月二十日左右,天色晴朗,和日暖。庭前梅花盛,
其他春花亦皆含苞,四周春云迷。成山帖 明治27年 明治27年新聞切り抜き帖。源氏言道:“出了正月,便准祝寿,
大家都要忙了。到那行琴筝合奏,外人将演,便多麻。中華民国支那事変期名人程硯秋パンフ 検索:演芸梨園/生写真/玉堂春/漢籍/和本/日中戦争/古文書/当時物/古紙/史料/時代物。
不如就在此悄悄地行。”便邀明石女御、紫夫人、明石夫人等都到
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。和本 音例 斎必簡。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。冬姫は内大臣・通誠の養女。利休茶湯秘傳書・利休茶湯書・2冊/片桐宗幽/利休七荘秘傳茶湯書/元禄十年/江戸期和本。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。大正4年発行 歴史地理 堺港の研究/山城北部の條里を調査して太秦廣隆寺の舊地に及ぶ/普佛戦争と日本 etc。2つとも貞子の印。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。原草露命傳 上下巻 天草露命傳 天草四郎 キリシタン弾圧迫害 吉利支丹 切支丹。
左上端の細長い落款は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩文の印。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。玉篇の研究/岡井慎吾/梁の顧野王によって編纂された部首別漢字字典/前編にては玉篇の源流と変遷とを叙し後編には古き玉篇の佚文を収集。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。淡路国名所図会・5冊/暁鐘成編・松川半山・浦川公左画/昭和9年/淡路国風景/天皇皇后陛下へ献上済・由良要塞司令部検閲済/和装本/図版豊富。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・下の巻)MRI 35―26B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。平家物語 欠品あり 11冊セット(全12巻のうち第12巻が欠品) おそらく寛永3年 / 和本 おそらく江戸時代。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・下の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・下)」(源氏物語絵巻)
朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
上の女性三人のうち右から紫の上は和琴、明石の女御は箏、女三の宮の琴。
手前の後ろ姿で琵琶を弾いているのが明石の君
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。訂正増補 英和對譯大辭彙 前田元敏纂述 大阪同志社活版部。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。和本 再版 古今銘盡大全 全4冊 古今銘尽大全。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。@1902年 衆議院議員人名録 岩本幾平誌 筆書 肉筆 117年前 検索: 写本 写経 手書 毛筆 古文書 当時物 本物保証 和本 和紙 在銘 落款 明治期。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。1930年/徳芸字典/中華民国19年/初版/上海良友図書 検索:漢文/典籍/唐本/漢籍/本物保証/在銘/四書五経/漢詩/支那/古書局/古籍/善本/戦役。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。0026360 月瀬記勝 乾坤 2冊 斉藤拙堂 明治14年 津藩。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【貴重! 武者絵づくし】雄臣百勇伝 江戸期1867年 等検名将軍合戦国武将浮世絵本木版画天皇日本歴史侍甲冑武士骨董品古書籍仏教歌舞伎中国。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。1937年日支事変号外 検索:中華民国/日中戦争/支那/国民党要人/蒋介石/馮玉祥/韓復榘/生写真/上海空戦/天津/北平通州城/満州/陸軍/軍部北京。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。今尾景三の手紙 真筆 鉄斎、御舟ほか大家10人の評、記述あり H0827C。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。@1934年 田間詩選 検索: 唐本 漢籍 国難 支那 新文学 漢詩 漢文 漢学 唐詩 宋詞 元曲 善本 線装本 中華民国 古籍 木版刷 木刻本 竹紙 排印。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。皇国名医伝・3冊/此書旧題曰名医小史/嘉永4年序/浅田宗伯は慶応元年(1865)フランス公使ロッシュの難病を治療したことでも有名な医者/和装本。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。故事大辞典 上中下3巻 和綴 明治34年 再版 青木崇山堂。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。0026279 官版 孝義録 26冊 堀野屋儀助 文化5年 孝行者 寄特者 忠義者 貞節者 農業出精。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。拾遺 続江戸砂子 享保21年版 1,2,5巻計3冊 1巻程度特に悪し。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【古文書】蔵出し 大正時代 長野諏訪歌人、古歌文法秘伝抄略等覚え。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。『毎日新聞社版 日本の紙』No,623 古本 古書 文化 郷土 書物 絶版本 画集 アート 学術書。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。最近欧州の印象と其の由来 昭14 日本外交協會秘密文書 ガリ版 旧日本軍 大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊軍艦戦前NY。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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